ヒグマジーンズ 機屋さんの話
ジーンズを作るのに欠かすことの出来ない生地のなのですが、
織布(しょくふ:布を織ること)を行っているのが機屋(はたや)さんとなります。
ジーンズを作るにあたり、生地の手配も重要点だったので、直接機屋さんを案内していただいて訪ねることにしたのですが、
・・・右も左もわからなかった自分は、初めて「機屋」という文言を見た時、
「機屋(きや)さん?・・・なんだ??・・・なんなんだべ???」
と、なじみが全くなかった言葉の意味を調べたのでした。その後「はたや」という読み方と意味を知るのでした。
調べついでに機屋さんのある、「岡山県井原(いばら)市」について調べてみると・・・
江戸時代から綿花を栽培し、その後藍染織物を作るようになり、その後明治時代には「備中小倉」という綿織物が作られていたとのこと、
その時代は流れ昭和になり、一時期はデニム生産国内70%もの生産量があった地域で、
「じーんずのふるさといばら」
とPRするまちなのでした。
昭和の時代、井原市職員さんの制服はデニム地だったとありますが、今はどうなのでしょう?
・・・さて、
話をヒグマジーンズの生地を手配するために機屋さんに案内していただいたのですが、
近くに昔、参勤交代で大名などが通ったであろう街道があり、北海道とは違う歴史を感じたものでした。
・・・それにしても、
「暑い!」北海道の暑さとは違いますね。
目的の機屋さんは、大正時代から続いている機屋さんで、創業当時のままの社屋はレトロでとても洒落ていました。
機屋さんの社長さん達と名刺交換、得意技の
「北海道から来ました!!!」ふっ、今回も決まったな^^
を連打し、お話をした後、
是非実際にこの目で見たかった、シャトル織機でデニム地を織る工程を見学するのでした。
ジーンズ関連の書籍などで工程が説明されていますが、
実際にこの目で見てみると規模と音が違いますね。迫力があります。
・・・すごいなぁ。
まさに、百聞は一見にしかず。
見学の後、HWP・HGMの通称「1生地」を手配したのでした
※いずれこのページにも画像を加えていきます※
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